「オレのことを見て!」

人には「自分のことを認めてほしい」という承認欲求があります。詳しくはマズローさんの承認欲求を参照。(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%BF%E8%AA%8D%E6%AC%B2%E6%B1%82)
私自身、人に認められたい!と思う瞬間があります。それは個人でお仕事をするようになってから強くなったような気がします。誰かと一緒に仕事をする機会もありますが、意外と1人でやる作業も多い。代表的なのは事務作業など。。。
ですが、以外と自分が知らない所で周りの人って見てくれていたと思う瞬間が結構あります。
皆さんもそんなことありませんか?
「えっ!?そんなことまで見てくれていたの?」という瞬間。
この時期は学校のクラス作りのプログラムが多いのですが、数年前のプログラムでこんなことがありました。
とある大阪の中学1年生。5月くらいのプログラム。男子15人のチーム編成でした。
一言でそのグループを表すと「うるさい」ずっとしゃべっている。集中力がない。体の子どもぽさは無くなりつつあるが、思考や発言は小学生。そんなグループでした。しかし、よくよく観察してみると、発言と行動にある特徴がありました。それは「俺のことをみて!」というメッセージが発せられていたこと。
例えば、話す声は凄く大きいが、アクティビティには必死に取り組んでいる。課題解決に必要な作戦やアイデアは驚くほど次々と出てくる。それも食い気味に話し始める。しかし、出てきた意見をまとめることはできない。何かにチャレンジする時は私のことをちらちら見ている。担任の先生が来るとすぐに話しかけ「かまって」オーラを醸し出す。
先生に普段の生活を聞いてみると、教室でも「うるさく」時に収集がつかなくなることがあるとのこと。だが、注意をすると素直に言うことを聞き、すぐに行動できるとのことだった。
その時に私の見立ては「この子たちはさみしがり屋??」でした。
そして、最後の振り返りの時間、彼らに言葉を求めてると次々と話をしてくれるが「俺の話を聞いて!」状態。
私はその時に一人一人に、今日一緒にいて見えていたことを素直に伝えてみた。「君はあの瞬間、こんな手助けをしていたよね」「あなたはこの時、こんな言葉をクラスメイトに伝えていたよね」担任の先生にもプログラム中に子どもたちを見ていて、感じたことを素直に話してもらった。
すると、、、どうなったと思いますか?
非常に静かになった。真剣に私と先生に話に耳を傾けていた。子どもたちの表情はなんとなく嬉しそうな顔をしているように見えていた。
そんな彼らに私は最後に一言「君たちの周りの大人たちは、君たちが思う以上に君たちを見てくれているよ」と伝えてその日のプログラムは終わった。
改めて思うことは、人間は1人でいることはあっても、1人では生きてはいない。必ず誰かと関わり合いながら生きている。そして、頑張れば、その頑張りは必ず誰かが見てくれているということ。
頑張るあなたへ「あなたの頑張りは絶対に誰かが見ています!」
そして私にも「あなたの頑張りは絶対に誰かが見てくれているよ!」
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